備忘録#番外① 僕とVtuberについて

今週の「乃木坂工事中」の飛鳥ちゃんがめちゃくちゃかわいかったです。グレイです。
 
本ブログは編纂者の一身上の都合で(下書きをバカスカ書き溜めてるだけです)予告とは違っていきなりマスターベーションをしたくなった場合、どうしても番外にする必要があるんですね。これからもこんな感じで番外を軽率に乱用していくと思うのでよろしくお願いします。
 

 

さて、今回はVtuberさんの話題。皆さんはVtuberさん好きでしょうか。僕のTwitterのTL見てるとそれ関連のフォロワーさんは少ない気がしますが、僕は好きです。このブログを始めた時からいつかは記事を書くことになると思ってましたがまさかこんなに早く書くことになろうとは…
 
さて、事の発端は一本の記事。Vtuber文化の終焉化とでも言おうか、まあ界隈の問題に一石を投じるものでした
一言で言って良記事です。結構お気持ちでぶん殴っている箇所も多いんだけど、やっぱり筆者さんがVtuberというものにそれだけ入れ込んでいただけ恨み節も出てくるのかなといったところ。批評7愚痴3ってバランスですかね。(異論は認める)Twitterではボコスカ叩かれてたけど、それだけぶっ刺さる人の多かった証左に他ならない。それに雑誌に載せる批評でもないし個人記事ってのはこんなぐらいの塩梅がちょうどいいんじゃないかな。せっかくなので今回は引用しながら僕の意見も交えて書いていこうと思います。
年表も併せてご覧ください。(ソースの信頼性については検索トップ引いてきただけだから言わないで)
 

Vtuberは栄枯盛衰、世は事もなし

 
キズナアイ爆誕より3年余り、Vtuberの箱化が進み個人勢は乱立、世は再びのVtuber戦国時代を迎えようとしていたーなんてことはなくぶっちゃけVtuber文化は落ち目です。僕自身もTwitterを見てもらえればわかる通り、以前ほど生配信のURLも張らなくなりました。追いきれねえんだもん。今でも変わらずチェックしてるのはおめシス燦鳥ノム赤月ゆに、加えてアナントカ組(敬称略)くらいのものです。にじナントカはもうほぼ見なくなりました。まあ僕自身がチェックしなくなってきたのはコンテンツの肥大化に伴う逆張りオタク的な側面が出てきてしまったこと、(オタクの悪いところ)またシンプルに配信時間が長くなって追いつけなくなってきたこと。でもわかるんですよ。動画編集に膨大な時間がかかるのは某クソ投稿者も言ってるし生配信は事故さえ気を付ければかなりのハイリターンになる。(配信アーカイブができて動画が一本できる。もちろん生配信に綿密な準備をして臨んでいることはわかっています。)それに対戦ゲームとかだとやってるほうはいくらでも時間使えちゃう。僕もストVでケン豪鬼にあったまりすぎて二時間とか平気で使ってしまう。
 
そこへ行くとこの方は僕なんかよりよっぽどVtuberさんが好きなんだろうなと感じました。
 
"VTuberには一過性でない新しさがあった。それが何を見せるか、私は興味があった。何が起こるんだろう? 火のつき始めた焚き木を眺めるようなわくわく感があった。もしかしたら、多くの人がアバターを持つようになるかもしれない。物語の形も新しくなるかもしれない。化学反応が起きている予感がした。げんげんが世界をかき回して、のらきゃっとがオタクの心をつかんだ。技術によって、表現がまた少し進んだことがわかったが、それが一体何なのか、私にはわからなかった。 しかし、私の思ったようなことは起きなかった。"
 
もうこの一節から伝わってくる絶望感。こっちまで泣けてくる。
 
加えて決定的なのがこれ。  
 
 
"2019年のお正月あたりに、『バーチャルさんが見ている』というアニメーションが放送された。ひどいアニメだった。"
 
覚えてます。というか忘れられるわけねえだろ。はっきり言ってこいつがVtuber 文化を奈落に突き落とした張本人なんだから。
直前にアズマリムさんの騒動が起こったのははっきり言って不幸でしたが、有無を言わせないほどの駄作だった。僕は2話で見るのやめました。せめてNHKでやってるコント番組のように銘打ってくれればまだ見れるものでしたが、アニメとしての出来は完全に終わってた。アズマリム騒動から差し込んできた暗雲からの落雷でした。ちなみに制作著作兼スポンサーはドワンゴ。余談ですが先日ニコニコ代表が「オワコン界では割と老舗です」とか言っていたのを見てマジで切れそうになりました。生主はどんどんYoutuberに転向し、そのくせVtuberコンテンツをどんどん逆輸入する、バナーなどの広告(ニコニコ広告除く)が入らないのがいいところだと思っていたのにいつからかYouTubeみたいな広告が入るようになる、その割にはプレミア会員じゃなきゃ自由にシークバーも動かせない。YouTubeに勝てる要素が一つもないのにオワコン呼ばわりされて平気そうなのはかなり頭にきた。昔からオワコン呼ばわりされてたけど今はガチのマジでオワコン化していることにいい加減気付け。ニコニコが好きだった人間としてはただただ悲しいです。
 
すみません、私怨をつづってしまいました。話を戻します。
次に筆者の方はVtuberのリアリティーショー化と題して、Vtuberというキャラクターのメタ的な二重性について言及しています。また、それに連関してキャラクターは可塑性を持つとも言っています。ウーン然り。そういえば僕も見始めてしばらくした頃、「Vtuberさんのキャラクター性と中の人のパーソナリティは溶け合って現実と虚構の領域侵犯は起こらないのだろうか?」とか、「Vtuberさんの権利関係とかを保証する海外の俳優組合みたいなものを作るべきだ」とかいったことを考えたりしました。(そして実際どこかのVtuberさんが配信と現実がたまにごっちゃになるみたいなことを言ってた記憶がある。)まあ最近はそういう意見も減ってきたのかななんて思います。寂しい限りですが。
 
でこのキャラクターの可塑性とかいったところでやっぱり思い出したのが#2のナナニジ回で言及したキャラクター性の乖離。ナナニジのバラエティやYouTubeチャンネルではキャラクターが自由に動くVtuberコンテンツ的なところがありながらも台本は規定されている。なおかつ彼女たちは視聴者の意見が反映されるキャラクターにはなりづらく、中の人のパーソナリティのウェイトが非常に大きい。ある意味理想的なVtuberの一類型かななんて考えます。まあここで言ってるキャラクター性の乖離とは、Vtuberさんが同一線上で変化していくのに対し、ナナニジはコンテンツAとコンテンツBの間での乖離、つまりパラレル的な世界観であるので、比べるのは結構無理がある気もしますが。
 
そして競争に負けないために視聴者の需要に対応しながらキャラクターを変化させていった末に待っているのが視聴者の要求した檻の中での動物園化であって、今話題になっているリアリティーショーの問題に結びつくと、まとめるとそんな感じ。まあ筋は通っているし、これはみんなで考えていかないといけない問題であると思います。でもこの方の記事に足りていない補足したい部分が2つほどある。
 

Vtuberを知ることは 恐ろしくない 恐ろしいのは 過ぎ去ったVtuberが 戻らぬと知ること

 
一つ、それはVtuberさん自身の気持ち。Vtuberさんが(粉砕した表現だけど)おかずにされているということを問題提起しているわけだけど、Vtuberさんがちやほやされること(これも粉砕した表現)を必ずしも嫌がっているかというとそうではないと思います。正直論拠に欠けて憶測の部分が大きいのだけれど、Vtuberは入りやすい一方で辞めやすくもある。個人勢ならばなおさらです。身も蓋もない最悪な言い方ですが、嫌ならやめればいい。じゃあ企業勢はすぐやめられないから苦痛なのか?とか言ったらそれもまた違う。最近は企業のサポートも手厚い。ホロやにじは嫌がらせやら不祥事の対応に特に対応が早い印象がある。というか企業勢だって辞めるときは辞めます。つまり続いているということは大なり小なりそこにVtuberさん自身が居場所を見出しているからだと思うのです。結局のところ本人しかわからないんですけど。
 
そして視聴者のいじり、言い方を変えると視聴者とのお約束の上でうまいことプロレス的に成り立っているのが名取さな夜野とばり由持もに(敬称略)かなと思います。まあ詳しいことは省きますが元々彼女らが視聴者側に近いからなのか、そういうコンテンツとしてうまいこと成立している。見てて安心感があるんですよね。あと最近勘違いバカがTwitterにも増えてきたように感じるので言っておくと、僕はそういうリアリティーショー的な側面が全くないとは思わないし、そういう「てぇてぇ」だのなんだのが許されているからと言って思考停止していいとは1ミリも思っていません。
 
もう一つは視聴者の品位。より正確に言うならば視聴者のVtuberリテラシーでしょうか。アズマリム騒動からゲーム部プロジェクト、ひいてはアイドル部騒動に至るまで、Vtuberさんの視聴者はかなり洗練されてきました。それらの事件を経てなおコンテンツから離れなかった視聴者はそれだけいろいろな事例を経験しています。アズマリム騒動では完全に企業逆風でしたが、それ以降、Vtuberは視聴者を人質にとれる、企業よりも実は強い力を持つ、という認識がだいぶ浸透してきたように思います。実際、しばらくたってからアズマリム騒動を振り返る記事もちらほら見かけました。結局のところ、「真実にたどり着こうとする意志」を持つ視聴者がだいぶ増えたのかななんて思ったり。
 
ここで記事は「バーチャルさん」の話題に戻ってくるんですが(本当はV市場についても言及してますが専門じゃないしめんどいので言及しません。)ここでもかなり恨み節の炸裂した一節が。
 
"だが失敗した。『バーチャルさんは見ている』は本当に苦痛だった。つまらないを通り越して、それは悲劇でさえあった。電脳少女シロがうんちくをいう屋台をしているところなど見たくなかった。ケリンはなんかもうつらいほどスベっていた。ニコニコ動画で見てすら滑っていた。"
 
これに関しては否定できません。終始うすら寒いノリでよくわからないことをくどくどくどくど…サウスパークで「テレンス&フィリップ」の後番組これだったら確実にカートマンが世界滅ぼすぞ。よかったな日本で。
 
でまあ一応フォローもしていきたいのですが、これより後に始まったバーチャルYoutuberドラマ、「四月一日さん」シリーズテレ東の深夜枠にめちゃくちゃ溶け込んでる。ドラマとしては普通にいい作品であると思う。(アメリカのシットコムっぽい。まだ課題も多い)でもなまじみんな「バーチャルさん」でずっこけただけになかなか手を出せずいまいち流行らない。見ているのは出演者の固定ファンや僕みたいな数寄者ばかり。(宣伝の仕方とかにも問題あると思うけど)だから、「四月一日さん」はVtuberの演技者化というサンプルケースとしては成功していると思うけど、それだけ「バーチャルさん」の功罪は大きかったと思います。いや功ねえわ。
 

最後に

ということで今回も僭越ながら駄文をしたためてきました。結局何が言いたかったのかは分からなくなってきましたが、やりたかったのはこの方の記事に沿いすぎないようにしつつも賛同することでした。でもこの方と違う結論を出したい。Vtuberは終わりに向かっていくかもしれないけど、未来はまだある。まあそんな感じのことです。
 
疲れてきたので今回はこんなところで。(気づいたら起きてから4時間ぐらい何も口にせずにぶっ続けで記事書いてた)次回は通常更新で#4に戻るはずです。なにか不測の事態が起きなければ。
じゃまた。
 
参考出典