備忘録#10 僕とサイファイについて

ラスアス2を発売日に購入したもののいまだに開封すらしていません。グレイです。
最近対戦ゲーム以外のモチベーションが著しく下がってしまい、もっぱらアドベンチャーゲームと読書ばっかりしています。読書といえば僕は基本的にSFばっか読む人種なんですが、皆さんはどうでしょうか。今回はサイファイということで、先日見た映画版BLAME!について語っていきたいと思います。今回もネタバレありです。
 

 

BLAME!とは

BLAME!は「シドニアの騎士」「人形の国」でおなじみのSFマンガ家、弐瓶勉先生の漫画作品です。今回見た映画版のほかに小説版なども刊行されています。コミック版は全10巻ですでに完結しています。余談ですがこの原作版が連載開始したのが1997年だそうです。ろくにネットも普及していない時代にこんな作品作っちゃうんだから恐ろしい作家ですよ本当に。原作未読で予備知識皆無で見たのですが、かなり楽しめました。
あらすじとしては、人類が人工知能を制御できなくなり、都市機能が無造作に拡大していく中、人間は不法住居者として排除されるようになった遥か未来で、都市を制御するための「ネット端末遺伝子」を探して主人公霧亥(きりい)が広大な都市を彷徨うというストーリーラインで、本作では電基漁師の集落との出会いと彼らを救うまでのお話になっています。コミカライズがあるところを見るに、オリジナルストーリーっぽいですね。長編アニメ化は初めてで、これまでの短編は不評だったものが多いようです。制作はアニメ版シドニアと同じポリゴン・ピクチュアズ。監督も同じくアニメ版シドニアに携わった瀬下寛之氏です。
 

人類とAIの共生関係

本作では滅びを待つばかりの電基漁師たちと霧亥が出会ったことによって始まるストーリーですが、実は霧亥は終盤で敵であるセーフネットから盗まれた上位個体であることが判明します。彼はなぜ旅を始めたのか、だれが彼をプログラムしたのかなど気になるところですが、今回は人間とAIの共生関係について考えていきたいと思います。
そもそも、ディストピアに現れる強力な武器及び戦闘能力を持った救世主という構図、何かに似ていると思ったんですが、まんま「マトリックス」ですね。両者の決定的な違いは、その救世主=主人公がAIであるか人間であるかということです。僕自身、人間とAIの違いについては、攻殻機動隊でもさんざん出尽くしているところの、ゴースト≒精神or霊魂の有無なのではないかと思います。が、人間にその存在の認知は極めて難しく、(例えば、AI同士が独自の言語で会話しだしたとかいったことからもわかるように、)認知できないだけですでに彼らには自我やゴーストがある可能性は否定できないわけです。その意味で行くと僕自身はAIに関して不可知論的な立場をとっています。物語の最終局面では村人を逃がすために霧亥は一人残って戦いますが、これは合理的な判断から下したものともいえるし、村人からしたら自分たちを逃がすための自己犠牲とも認識できる。これはこれから人間がAIと共生していくにあたって、一つの重大なテーマといえるでしょう。
また、劇中で登場する、科学者のシボは、全身機械の肉体であり、一応人間と言っていますが、実際はどうなんでしょう。全身が機械化されているのだとしたら、攻殻機動隊のように電脳化など本当に生身の肉体が一部でも残っていない限り、人間とアンドロイドの区別をつけることはかなり難しいでしょう。そういった意味で、我々はすでに人間とAIの区別に関して大きな問題に直面していると言えます。また、無理に区別して人間とAIは別物として暮らしていくのか、差別などを生まないために人間とAIは境界を曖昧にしていくのか…など、非常にいろいろと興味深いことを考えるきっかけにもなったと思います。
 
今回ブログタイトルをあえてサイファイにしたのは、これはSFの枠組みにとどまらず、倫理的、哲学的に未来の人間の姿を警告している作品だと考えたからです。思考停止で無尽蔵にオートメーション化していった人間の末路があの世界なわけですから。
BLAME!はド派手なアクションを楽しめる映像作品としても非常に高いエンターテインメント性があると思います。Netflixで見られるので、皆さんもぜひ見てください。僕の推しキャラはシボです。
今回はガラにもなくまじめに書いてしまったので短いですがこの辺で。
 
次回へ続く…
 
参考出典
BLAME!公式サイト
映画.com